東京地方裁判所 昭和55年(ワ)521号 判決 1982年11月29日
原告
谷村英俊
右訴訟代理人
佐藤圭吾
被告
山瀬裕
右訴訟代理人
吉田豊
被告
椎名三樹彦
右訴訟代理人
海老原照男
主文
一 被告らは原告に対し、各自金一〇〇〇万円及び被告山瀬裕はこれに対する昭和五五年二月一〇日から、同椎名三樹彦はこれに対する同月九日から、それぞれ支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二 訴訟費用は被告らの負担とする。
三 この判決は仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求める裁判
一 請求の趣旨
主文と同旨。
二 請求の趣旨に対する答弁(被告ら)
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 (当事者)
(一) 原告は亡谷村スミ子(以下「スミ子」という)の夫である。
(二) 昭和五四年三月当時、被告山瀬裕は、医療法人社団愛生会が開設する通称北町病院の院長であつて、右医療法人に代わり、その被用者である医師及び看護婦を選任、監督すべき地位にあつた者、被告椎名三樹彦は、右医療法人に雇用される医師、舘林(旧姓東條。以下「東條」という。)芳子、中村悦子及び大坪玲子は、右医療法人に雇用される看護婦であつた。
2 (診療経過)
(一) スミ子は、昭和五四年三月一八日午後四時ころ、原告自宅付近の商店で頭痛、めまいを感じ、同四時三〇分ころ北町病院で受診し、被告椎名の診察を受け、その指示により経過観察のために入院した。
(二) スミ子は、入院後同日午後八時から同九時の間に一回、同一〇時ころ、更に同一二時ころ嘔吐をし、激しい頭痛を訴えた。スミ子に付添つていた原告あるいはスミ子の次男健次は、その都度前記看護婦らに対して、医師の診察を強く要請したが、担当医師である被告椎名の診察は得られなかつた。
(三) スミ子は、翌一九日午前三時ころ、病室を出て便所へ行き倒れ、意識不明の状態となつた。これに対して、前記看護婦らが鎮静剤及び降圧剤の注射、バルンカテーテル挿入、点滴の処置をしたのみで、被告椎名の診察はなされなかつた。
(四) その後、同日午前七時ころの定時検温まで、医師はもとより看護婦の回診もなく、同八時ころ、被告山瀬が定時回診のために来室してスミ子を診察した。そして、原告に対し、スミ子が重篤な状態であることを告げた。
(五) スミ子は、その後の治療にもかかわらず、同月二五日脳出血により死亡した。
3 (被告椎名及び前記看護婦らの責任)
スミ子は、被告椎名の左記(一)の、前記看護婦らの同(二)の過失により死亡した。
(一) 被告椎名の過失
被告椎名は、北町病院においてスミ子の診察をなし入院を指示した医師であつて、右入院時から翌一九日午前中までの右病院の当直医師としてスミ子の診療を担当する医師として、スミ子の病状の変化を把握して適確な診断を下し、医療水準に合致した指示及び診療行為をなすべき注意義務があるにもかかわらず、絶対安静、歩行禁止等必要な注意事項の指示を怠り、かつ前記スミ子の入院時における診察をのぞき長時間にわたり全く診察、治療をなさず、特に、同女が請求原因2の(二)記載のとおり脳出血の徴候を示し、原告らが医師の診察を要請したにもかかわらず、これに応じず、右症状に対する診断及び治療を怠つた過失がある。
(二) 看護婦らの過失
東條、中村及び大坪は、医師の診療行為を補助する者として、患者の症状を医師に報告してその指示を受けるとともに、必要に応じてその回診を求めるべき注意義務があるところ、スミ子が請求原因2の(二)記載のとおり脳出血の徴候を示し、しかも原告らから医師の回診が求められたにもかかわらず、医師の回診が得られるように必要な努力をしなかつた過失がある。
4 (慰藉料)
原告が、妻であるスミ子を失なつたことによる精神的苦痛を慰藉するには、金一〇〇〇万円の支払いをもつて相当とする。
5 よつて、原告は、被告椎名に対し民法七〇九条に基づき、同山瀬に対し同法七一五条二項につき、各自金一〇〇〇万円の損害賠償及びこれに対する各被告に対する訴状送達の日の翌日(被告山瀬については昭和五五年二月一〇日、同椎名については同月九日)から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
二 請求原因に対する認否(被告ら)<省略>
三 抗弁
1 (被告山瀬の主張)
(一) (被告椎名の選任及び監督について)
被告山瀬は、前記医療法人に代わつて被告椎名を選任し、監督するに当つては業界唯一の権威ある「日本医事新報」の医事案内求人欄の紹介により、その資格及び経歴に何ら問題のないことを確認したうえで被告椎名を採用し、医師としての職責と自覚に基づき良心的な治療をなすように監督をしており、その選任及び監督について相当の注意をなしている。また、採用以来約四年間にわたり優良な医師として勤務してきた被告椎名が患者からの要請にもかかわらず回診しないなどということは予見不可能なことであり、被告山瀬がその選任及び監督について相当の注意を尽くしても、本件事故は不可避であつた。
(二) (前記看護婦の選任及び監督について)
被告山瀬は、前記医療法人に代わつて前記の看護婦を選任し、監督するに当つては、北町病院事務長佐藤及び婦長堤に指示し、法並びに慣行に従つて前記看護婦らを採用し、採用後は、自ら又は担当医師、婦長を通じて医師の補助者としてその職務を全うさせること、特に患者の希望、要求については必ず担当医師に報告し、その指示により適切な処置をすることを教育しているのであつて、その選任及び監督について相当の注意をなしていた。
2 (被告椎名の主張)
被告椎名は、原告及びスミ子に対し、スミ子の入院時に絶対安静の指示をしたにもかかわらず、原告及びスミ子はその指示に従わず同女が歩行して便所へ行つたために脳動脈瘤破裂の発作を起こしたのであるから、右発作は、もつぱら原告及びスミ子の過失によるものであつて、被告椎名には過失がない。
四 抗弁に対する認否
抗弁1、2の主張事実はいずれも否認する。
第三 証拠<省略>
理由
一請求原因1(当事者)の(一)、(二)の事実は当事者間に争いがないところ、証人舘林芳子(旧姓東條)、同大坪玲子、同中村悦子の各証言、被告椎名三樹彦本人尋問の結果によれば、被告椎名は、谷村スミ子の北町病院入院時(昭和五四年三月一八日午後四時三〇分ころ)から翌一九日午前八時までの間、北町病院における唯一の当直医師としてスミ子の診療を担当したこと、中村悦子看護婦は、スミ子の右入院時から右一八日の午後五時三〇分ころまで、東條芳子、大坪玲子両看護婦は、同じく翌一九日午前九時ころまで、北町病院の病棟勤務に就いていた(ただし、大坪看護婦は、右一八日の午後九時ころから同一一時四五分ころまでの間、手術立会いのため病棟勤務を離れていた)ことが認められ、この認定に反する証拠はない。
二請求原因2(診療経過)の事実について
1 請求原因2(一)の事実中、スミ子が昭和五四年三月一八日午後四時三〇分ころ北町病院において、被告椎名の診察を受け、その指示によつて経過観察のため入院したことは当事者間に争いがなく、右事実と<証拠>を総合すれば、スミ子は、同日午後四時ころ自宅付近の商店で買物中に激しい頭痛と眩暈におそわれたため、その場に原告を呼寄せ、原告に伴われて、その場から約二〇〇メートル離れた北町病院で受診するにいたつたのであるが、前記入院時の診察では、四肢麻痺及び言語障害は認められず、意識は鮮明であつたものの、顔色は悪く、かなり強度の頭痛と吐気を訴え、血圧測定値も最高一八〇、最低九〇を示していたため、被告椎名は、スミ子が脳圧昂進により危険な状態にあるものと診断し、安静を保たせ経過を観察する必要があると認めてその入院を指示し、東條看護婦に対し、差当つての処置として、スミ子に対し、0.5ミリグラム・アポプロン(降圧剤)、一〇パーセント・フエノバール(鎮静剤)各一アンプルの注射並びに点滴、禁食、バルーン・カテーテル留置を、右入院が日曜日であつたので翌日入院時一般検査を実施することを指示したこと、右指示のうち、降圧剤、鎮静剤の注射並びに点滴は、入院後間もなく実施されたが、バルーン・カテーテル留置については、東條、中村、大坪看護婦が相談のうえ、その判断によつて、後記認定のスミ子の昏睡状態の発現にいたるまで実施されなかつたし、また入院時一般検査は翌日実施することとされたため、結局最後まで実施されなかつたこと、以上の事実が認められ<る。>また、被告椎名は、スミ子の付添をしていた原告に対し、前記入院時に、スミ子は入院中絶対安静であつて歩行をすることは許されない旨の指示をした旨供述するが、<反証排斥略>他に、スミ子の入院時から後記認定のように昏睡状態に陥るまでの間において、同被告又はその指示を受けた前記看護婦らから、スミ子又は原告に対し、絶対安静、歩行禁止等の指示がなされた事実を認めるに足りる証拠はない。
2 そして、その後の経過について検討してみると次の事実が認められる。即ち、<証拠によ>れば、
(一) スミ子は、その後同日午後八時二〇分ころ再び頭痛と吐気を訴え、かつ胆汁少量を嘔吐し、その旨連絡を受けた東條看護婦は、被告椎名の電話(院内電話。以下同じ)による指示によつて五〇パーセント・メチロン(解熱、鎮痛剤)一アンプルを注射し、同日八時五〇分におけるスミ子の血圧測定値は最高一五四、最低九〇となつたが、同日午後一〇時ころ及び同一二時ころには重ねて激しい頭痛を訴え、嘔吐するにいたつたため、原告において、その都度当直看護婦に連絡して医師の来診を求めたが、看護婦が病室に来てくれたものの医師の回診はなかつたこと。
(二) 原告は、翌一九日午前三時頃スミ子が尿意を訴えたため、同女を歩行させて病室から約一四メートル離れた便所に赴いたが、スミ子は、洋式便器に坐つて大便の排泄を終えるとほぼ同時に前のめりに倒れかかつて、呻き声を発するにいたつたため、驚いた原告は、すぐさまスミ子を抱きかかえるようにしてベッドまで連れ戻つたが、スミ子は、その直後には意識を喪い、昏睡状態に陥つたこと。
(三) そこでナース・コールによつて急を知り、スミ子の病室にかけつけた大坪看護婦は、直ちに電話で右の状況を被告椎名に連絡したが、被告椎名は、その電話で一〇パーセント・フェノバール、0.5ミリグラム・アポプロン各一アンプルの注射を指示したにすぎなかつたこと、同看護婦はスミ子に対し、右指示に従つた注射を実施し、このときになつて初めてバルーン・カテーテルを挿入したが、同日午前三時ころ最高一六〇、最低一〇〇であつたスミ子の血圧測定値は、同日午前三時三〇分ころには最高二一〇、最低一〇〇を示し、かつ喘鳴があり喀痰喀出困難な状態に陥つたため、同看護婦によつて吸引の処置がなされ、更に同看護婦の独断によるハルトマンG(ブドウ糖及び電解質溶液)五〇〇ミリ・リットルの点滴注射が実施されたが、スミ子は、その後も昏睡状態を続け、同日午前七時ころには当直看護婦らによつて、重症患者用の病室に移され酸素吸入が開始されたが、被告山瀬が同日午前八時ころに定時回診をしたときには、すでにスミ子は、極めて重篤な状態に陥つていたこと。
(四) 以上のように、入院後におけるスミ子の症状の変化は、付添いの原告らが当直看護婦に逐一連絡報告し、少なくとも、前記一八日午後八時二〇分ころ及び翌一九日午前三時ころの二回は、右看護婦らが電話によつて被告椎名にこれを報告したが、被告椎名は、当直勤務の終了する前記認定の一九日午前八時までの間に一度といえどもスミ子の病室に赴き同女を診察したことがなかつたこと(同被告が右のようにスミ子を診察しなかつたことは当事者間に争いがない。)。
(五) そしてスミ子は、同月二五日午前七時に北町病院において死亡するにいたつた(スミ子が死亡した事実は、当事者間に争いがない。)が、その死因は、脳動脈瘤破裂による脳出血と診断されたこと。
以上の事実が認められ<る。>そして、以上の事実関係によれば、スミ子は、前記一九日午前三時ころ歩行して便所に行つたことが誘因となつて脳動脈瘤破裂を起こし、右脳動脈瘤破裂による脳出血が直接の原因となつて死亡するにいたつたものと推認するのが相当である。
三請求原因3の(一)(被告椎名の責任)について
前二項において認定した事実関係によれば、スミ子は、すでに北町病院入院時において脳出血を起す危険性が認められたものであり、被告椎名も医師として、この危険性を認識したからこそ、スミ子の安静確保と経過観察のため同女を即刻入院せしめたものであることが明らかであり、したがつて被告椎名としては、右入院時から翌一九日午前八時までの間同女の診療を担当する北町病院の当直医師として、入院の目的に従つてスミ子又は付添の原告に対し、直接又は当直の看護婦を介して同女の安静を命じ、これを守らせるよう措置を講ずべきは勿論であるし、更に直接又は当直の看護婦の看視を通じてスミ子の病状の変化を的確に把握し、スミ子の症状に異常を生じた旨の通知を受けたときは、直ちに病室に赴いて診察し、その症状改善のための適切な医療措置を施し、すくなくとも、それ以上に症状悪化の結果を生じさせないよう努力を傾注しなければならない業務上当然の注意義務があるというべきところ、同被告は、スミ子の安静確保については、東條看護婦に対してバルーン・カテーテル留置を指示(この指示が即時に実施されなかつたことは前記のとおりである。)をしたにとどまり、スミ子及び原告に対しては、直接安静のための指示を与えていないばかりでなく、看護婦を介してそのような指示をさせてもいないし、その入院後は、翌一九日午前八時までの長時間にわたり一度たりとも同女の診察をしていないのであつて、すでにこの点において、同被告に前記注意義務違反があつたことは否定しえないし、しかも、少なくとも、前記一八日午後八時二〇分ころ及び翌一九日午前三時ころの二回は、当直の看護婦からスミ子に病変があつた旨の報告を受けたにもかかわらず、右看護婦に対し電話で鎮痛剤あるいは降圧剤、鎮静剤の注射を指示したにすぎず、ついにスミ子の病室に赴き同女を診察することがなかつたのであるから、その注意義務違反があつたことは明らかである。
そして、前記認定の事実関係によれば、被告椎名が前記認定のスミ子の病状の変化の把握に留意し、当直の看護婦からスミ子に病変が認められる旨の報告があつたときには、同女を診察して的確な医療措置を施し、更に当直看護婦に命じて同女を看視し、安静を保たせていたならば、同女が用便に立ち、便所で倒れて昏睡状態に陥るという事態を回避し得たであろう蓋然性は極めて高かつたものと認められ、また右の昏睡状態に陥つた後において、即時に的確な医療措置が講じられていたら、同女の死の転帰も回避できた蓋然性はあつたものと推認できるのであつて、同被告において以上の注意義務のすべてを尽してもスミ子の症状悪化ないし死は不可避であつたとする特段の事情につき何ら立証のない本件においては、被告椎名の前記過失とスミ子の症状悪化ないし死の転帰との間には相当因果関係があつたとするほかない。
被告椎名は、スミ子が脳動脈瘤破裂を起こしたのは、同被告の絶対安静の指示に従わずに、スミ子が歩行して便所へ行つたことに起因すると主張するのであるが、同被告が直接又は当直看護婦を介して、スミ子又は原告に対し、絶対安静を指示したと認められないことは前判示のとおりである。なお、被告椎名本人は、当直看護婦に対し、バルーン・カテーテル留置の指示をしたことが絶対安静の指示である旨供述し、バルーン・カテーテル留置の指示が当直看護婦に対してなされたことは前記認定のとおりであるが、この指示が当直看護婦によつて無視されたことは前記認定のとおりであり、原告本人尋問の結果によれば、スミ子は前記のように昏睡状態に陥るまで軽症患者と全く異ることのない扱いを受けていたことが認められるのであつて、原告に伴われてスミ子が歩行して便所へ行つたからといつて、この点をとらえて原告側の過失として評価するのは相当ではない。従つて、被告椎名のこの主張は理由がない。
四以上のとおりであるから、被告椎名は、不法行為者として、民法七〇九条の規定により本件医療事故により原告に生じた損害を賠償すべき義務があり、また被告山瀬が被告椎名に対する関係において代理監督者の地位にあつたことは、すでに原告と被告山瀬の間において争いがないところであるから、その主張にかかる抗弁事実が肯認できない限り、看護婦らの過失の有無を問うまでもなく、民法七一五条二項の規定により、被告椎名と連帯して、前記損害を賠償すべき義務があることは当然である。
五被告山瀬の抗弁事実について
被告山瀬本人尋問の結果によれば、被告山瀬は、「日本医事新報」の関係者からの紹介により、その資格及び経歴に何ら問題のないことを確認したうえで被告椎名を採用し、被告椎名の医師としての立場を尊重しつつその自覚に基づいた良心的な治療をなすように求めてきたこと、採用以来四年間被告椎名の勤務状況に特段の問題はなかつたことが認められるが、これらの事実だけでは、いまだ被告山瀬は被告椎名に対する選任監督について相当な注意を尽したとは断定できないし、また同被告が被告椎名の選任監督について相当の注意を尽くしても本件事故は不可避であつたとはいい得ず、他の本件全証拠を検討してみても被告山瀬のこの主張を肯認しうる資料はない。
六請求原因4(慰藉料)の事実について
以上の事実関係、殊に原告が医師のすすめによつてその妻であるスミ子を入院させたにかかわらず、入院時はともかく、その後スミ子が重篤状態に陥つても、一度もその医師の診察が受けられず、結局同女が死の転帰をたどつた事実からすれば、原告の無念さが筆舌に尽しがたいものであつたであろうことも、またその結果多大の精神的苦痛を受けたであろうことも推認するにかたくないところであつて、これと本件に顕れた諸般の事情を総合して考えると原告の右精神的苦痛は被告らから金一〇〇〇万円の支払いを受けることによつて慰藉されるものと認めるのが相当である。<以下、省略>
(原島克己 前坂光雄 綿引万里子)